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新たなる的 [Diary]

 これは、今迄で初めての経験である。

 人に真っ向敵視されている。

 自分は割と静かな人間だが、稀に口と態度で災いを呼ぶ人間でもある。口が悪い訳ではないのだが、どうも人を見下すような所も有る様だ。以前一度だけ「アナタと話していると自分が愚かで小さな人間に思えて来る」と言われた事が有るのだが、それを言った人物とは有り難い事に今でも友人である。それ以来、自分が他人にそんな事を思わせてしまう人間だと言う実績が有るため、自分が知っている事を知らない人と喋る時には気を使う様にしている。同じ様に、自分が知らない事を知っている人と喋る時には、教えて頂く、という姿勢を取る様にしている。大体からして、自分が人に誇れる様な何かをやったという記憶も無いからである。

 昔は駄目な奴を駄目と言って何が悪い、と思っていた。自分が駄目な奴だったからだ。駄目な奴と言われた事も有る。だが、それで済まない人間もいる。自分の適性を見つけてそれを伸ばしていき、収まる所へ収まればいいのだが、何の因果か駄目な所をそのまま引きずって何十年も過ごして来てしまう人も居る。自分もまだまだ修行中だ。

 自分にはもう一つ根本的な欠陥が有る。性格が悪くて頭が鈍くて回転が遅くひがみ根性が有って他人を貶める言葉を平気で使う人間と話すのがこの上なく嫌いなのである。一部同族嫌悪的な部分も無きにしも非ずである。だが、誰もが認めるイイ奴、デキル奴と話す時にはこの感情は生まれない、または生まれづらい。不思議である。有る意味自分も普通の部分が有るのではないかと思う。

 今回敵視されているのは、多分に空気を読む事が苦手で責任を回避したがり他人に己の仕事をなすりつけ自分以外を馬鹿呼ばわりする癖に言葉の使い方を初め殆ど何も知らず誰が聞いても同じ様な評価をされているある人物からである。

 はっきり言うと、自分はその人物とはなるべく話をしたくはない。何故なら、少々危険を感じるからである。だが職場の同僚であり、自分よりもタイトル的には上になるその人物が、自分についてあちこちの同僚に有る事無い事言い出し始めている様子なのである。

 例えば似て非なる言葉を使って、「こう言われた」と言ってみたり、または状況から誰もが当然の様に出来る判断をせず驚異的な読解力のなさをもって曲解し、歪んだ想像力で頭の中で発展させ、「こんな事をされている」と言ってみたり、辟易するぐらいの被害妄想により何を言っても攻撃されているとフィルターを掛けて己の頭に入力が入るようなのである。

 母国語であろう日本語と、恐らく第二言語であろう英語において、「コンプリヘンション能力が低い」と他の同僚に言わしめた人物だが、もしかするとありとあらゆるインプット回路にネガティブトランジスタやネガティブウォッチドッグが設置されているのかも知れない。もしかするとアウトプット回路にジャミングが掛かっているのかも知れない。回路のどこかがショートしているかオープンしているのかも知れない。だからもしかすると本人には全く悪気は無いのに他人を怒らせる事を言ったり書いたり行ったりしてしまうのかも知れない。

 それでも、自分はその人物に、意地の悪さを感じてしまうのである。一般的に見て、その人物の行為を「人を悪く言う」であると言う事が出来ると思う。何故なら、自分を知る他の同僚が、その人物の自分に放った言葉に対してほぼ全員がその人物の言う事は間違いであると言って自分を擁護してくれているからである。

 だが、ここに教訓が有る。自分にとっては正論でも、他人に取って同じとは限らない。これは、社会のマジョリティとマイノリティ、いずれにとっても同じ事である。個体で言えば、一人の人間の認識の内と外では、「現実」という言葉に意味は無い。重み付けが有るだけだ。物事を認識する側で現実と言うものが異なるからだ。本人に取って愛だと言う事が、他人に取っては狂気に映る事も有る。本人が死を選ぶ程苦しみ抜いていても、同じ立場になった時に他の誰かはそれを笑い飛ばすかも知れないのだ。

 ではどうするべきか。自分が選ぶ道は何か。今考えているのは、環境を変える事だ。自分はその人物の人生に責任を持たないし持ちたくない。自分から影響を与えたくないのである。もし今よりもその人物から受ける反作用が大きくなるようであれば、転職も辞さない。お互いに悪い感情を持ちながら仕事をするのは精神衛生上良くない。となれば、自分が先に退くべきであると考える。社会は誰もが幸福を追求する権利を持つという、難しい場所である。それの意味する所は、折り合いをどこかで付けなければならないという事だ。社会とは、大きなルールに縛られ、そして守られながら生きて行く所である。無理が通れば道理が引っ込むのだ。

 現在の所、その人物の敵は自分である。ロシアンルーレットの様に弾の入った銃をその人物がこちらに向けながら、毎日こちらが何かアクションを起こす度にトリガーを引かれる様な状態を想像することができる。いつ火を吹くか分からない銃口を前に、どうやって同僚として仕事が出来ようか。三十六計逃げるに如かず。身辺整理を始めておこう。



追記:自分のこの認識は本当に世間と同じか?それともズレているのか?自分が自分である以上、他人からの客観的な認識は分かり得ない。真実は、一つではなく多義的であるのだ、万華鏡の世界の様に…。
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